花と書の部屋
生け花と私
生け花を初めて二十五年余となります。きっかけは、仕事に何か役立てば・・と思い、町の講座に参加したのが始まりです。修了後、先生のご自宅へ通うようになり、教えを受けているうちに、実は生け花と庭には共通な部分が大変多いことに何時しか気づかされました。そして庭造りや樹木の剪定において、随分と参考にさせていただいております。その中でいくつか感じたことを挙げてみたいと思います。
一、太陽を意識せよ
お花の先生には、よく、「自然にあるように生けなさい」とご指導を受けます。花や葉の向き、枝や茎の曲がりなど、地面に向かって伸びるものは、枝垂れを除いてありません。また枝が重なり合うこともありません。重なった下枝は光を受けられないので枯れ落ちてしまうからです。これらはすべて庭の植栽に相通ずるものがあります。
太陽の光を万遍なく受けられるようにすれば、自ずと自然な庭になるわけです。
二、変化(リズム)をつけよ
生け花も庭もリズムの無いものは、面白味に欠けます。花や樹がどんぐりの背比べのように並んでいたら、どうでしょう。主になるものを生ける(植える)。それに対比するものを生ける(植える)。それをつなぐものを生ける(植える)。そして、それらに添わせるように生ける(植える)。密に生ける(植える)。空間をあけて生ける(植える)。全体を眺めた時、高低・明暗・遠近・大小など、これら全てが響き合い、渾然一体となった時、一つの作品となるのです。
三、遊び心を持て
さて、太陽の光を意識し、変化(リズム)をつけて花を生けたり、樹木を植えたとします。しかしそれだけでは基本形に忠実に従っただけとしか言えません。最後に重要なのは作り手の独創性です。そこに作り手のセンスが加味されないと人は感動しません。驚きや意外性を持ち込んでも良いでしょうし、隙のない緻密性を取り入れても良いでしょう。作り手の今まで培った遊び心、発想の豊かさ、人生経験、そして人柄そのものが作品になるのです。
最後に、このところ欧米など外国人に、日本の生け花や庭園への関心が寄せられています。その理由を私なりに考えてみますと、生け花や日本庭園は「アンバランスの美」とでもいうのでしょうか。高さや方向をそれぞれ変えて花を生けたり、樹木や石の配置が絶妙なバランスを保っていることに外国人は驚くのです。なぜなら、欧米などではフラワーアレンジメントや西洋庭園が左右対称、すなわちシンメトリーの美学が主流だからです。
それに対し、生け花や日本庭園は不均衡の美学であり、そこに「侘び」や「寂び」といった人の感情までも入れ込むのですから、日本のIKEBANAやTEIENは神秘的に見えるのではないでしょうか。
以上、大雑把ではありますが、生け花と庭の共通点と西洋庭園と日本庭園の違いを挙げてみましたが、私は生け花と出会えたことが本当に良かったと、最近特に思うのです。
祭姪文稿の一節
祭姪文稿(さいてつぶんこう)とは唐の政治家・書家顔真卿が記した書